用語説明
(現象界側から見た概念図
−縮小してありますので拡大
して下さい−)


この用語説明で使用する言葉そのもの、概念そのものが時間と空間、及び二元性、分離性そのものであるため、解説もそれに伴い当然に制約されてしまいます、が、しかし
以下の用語説明をしようとしている事そのものが深く内面にかかわることであり、当然それに伴い[見られる客体]へではなく、主体にその方向を向け、出来る限りこの解説は内面的方向から、即ち心理学的方向から、進んでいくのが一番妥当と思われます。
現在のこの地球の科学は、主体と客体の分離・二元性を前提にし、従って自分自身も含めて、内面すら対象として自分を外部のものと捉えてしまうため、その焦点が客体として向かうため、そのとらえ方そのものが、分離的であります。
これらのいわゆる二元的分離的方法ではこれからのべる以下の内面に関する題材へのアプローチは不可能であるとおもいます。
真我は、実相は、真理は、純粋主体は、内側に、内面の門を入り、認識、知覚、記憶、感情、思考、想念、感覚の元で「あるもの」に向かうことであることを前提にしています。高次な次元の方々の科学は二元性のマインドではない、真我からのエネルギーである気づきの科学・非二元性の科学です、それはいのちと愛と調和の科学です。

本来はこの説明対象が二元性や「本来は存在しない分離」に基づいて、さも存在するように「私・主体」「現象界・客体」を説明しているので、この「現象界から見た説明」は〈分離に基づくので〉説明そのものも虚偽である ともいえます。
本当は覚者方ように「主体と客体の分離はない」であり、クリシュナムルティーの言うように「見るものは見られるもの」であるのですから、この私の説明はそう言う意味で正しくありません
それを念頭に擱いてご覧下さい。
「この説明の前提である二元性は虚偽である、見るものと見られるものの分離は虚偽である、従ってこの説明は二元性に基づくので虚偽である。」
この二元性と分離は虚偽であると、これを見たときそこが真理だと思います 、これこそ肝要なことです。
以下の各項目のことは悟れば全て分かることであると思います、またこれは悟らなければクリヤーには分からないことでもあります
蛙が井戸の中で外の世界を云々するようなものであり、詮索するよりまず、井戸の外に出ることが真っ先にするべきことでありますので、この説明はその蛙の考えであることをまずここでハッキリさせておきたいと思います
ここで私が指し示している言葉は単なる観念であり、観念を超えて直視、直に分かるためには私をも含めて貴方が非分離の未知なる領域に実際に歩まなければ理解は出来ないのです
神我
完全絶対なる非顕現の宇宙意識そのもの
キリストが「父」と表現した超越意識・仏陀の超越意識
全ての宇宙と、あらゆる次元に浸透し且つ超えて、宇宙と時空間をあらしめている根源
この宇宙意識無くしては、全宇宙の全存在は一瞬たりとも存在できない

※この神我という宇宙意識はキリストを経て直接ハートに届いており、その私達のハートに届いている超意識をキリスト意識といい
 このキリスト意識の存在していない空間は何処にもなく、キリスト意識のないときはどこにもない、キリスト意識は遍在し
 あらゆる時間に実在している
真我
普遍的神聖なる霊

上記の完全なる宇宙意識を構成している全体のなかの細胞としての純粋意識・完全純粋主体
非二元性・非分離性・全体性、自と他の分離がないステート。全体存在。「I AM THAT」。
時間と空間と宇宙を超える実在・あるがまま。神我と一つなる真我
この状態を「子なるキリスト」「宇宙・世界は私である」「神聖絶対なる愛と叡智と聖霊」などと表現している。
私達現在意識が観照者である魂に吸収同化されるに至ったとき、自ずと自明であるもの。実在。実相、真の私などといわれる。神道では鏡そのものであるともいわれており。一霊四魂の一霊である

※この意識の特長は「見るものは見られるものである」という主体と客体の合一状態、非思考・非対象などと言われている
観照者・魂
永遠の
パーソナリティー

比喩として妥当なもののひとつに、無限の空に輝く多くの太陽が輝いている状態を真我として、それを大きな真っ黒な厚紙で覆い、その厚紙に多くの限りない穴が空いている、その穴から輝きが暗黒を照らしている状態を想像し、その黒紙に空いている穴が観照者・私達の魂である
その穴を被っている黒いゴミが「無知」であり、本来は幻想であるといわれるマインド・二元性であり、今のところ私達は、穴が空いていることは空いているけど、その穴は塞がれており、その穴から太陽の光が輝いていない状態だ
その空いている穴がゴミで覆われているのがこの地球の今の私達の意識レベルであり
その穴の覆いが完全に取り除かれた状態が覚醒・悟りである、観照者意識と呼ばれる
その意識が現在のパーソナリティーである現在意識と繋がったときは、その空いている穴を被っていた黒いゴミそのものが分離幻想であり、本来存在しなかった事が看破されるという。
この観照者とは魂とも呼称され純粋意識であり純粋主体である真の私の現象界の接触部分です、
また真我の現象界での接点などと言われている魂であり
この魂である観照者は私達の現在意識である現在のパーソナリティーの思考と行為と生活の全てを見守っている。
この魂・観照者は脳内にあっては松果体に接点をおき、その松果体から魂はそこからアジナチャクラである脳下垂体に焦点を合わし現在のパーソナリティー・現在意識に繋いでいる

この松果体に焦点を合わしている魂という永遠のパーソナリティーは現在のパーソナリティーに繋がれており現在のパーソナリティーの生み出した思考と感情と欲望など、そして又その現在のパーソナリティーにやってきた否定的想念など、所謂、現在のパーソナリティーによって「最後までハッキリと照見されなかった」思考・マインドが無意識又は潜在意識となって、その魂を取り囲んで光を出させないように覆ってしまっている。その付着しているゴミを取り去ることが肝要である
魂の場である松果体に附いているゴミを取り除くには、真の私からの働きと現在のパーソナリティーである私の両方からの働きが必要であり、その働きとは真我への帰依と同時に、付着しているゴミややってくるゴミを目を逸らさずに最後まで照見するワークが求められる


※この魂は真我と直結しており、真我の部分でもあるが脳の機能ではない、脳内の機能とは脳下垂体に焦点を合わせている現在意識の機能であり、その体験である。、この魂は脳の機能ではなく、脳を超えているが脳の松果体に接点しており、脳の影響を受けている脳下垂体にある自我や現在意識を観照している。
脳内の麻薬用物質による、覚醒効果や、脳内麻薬による一時的な悟りやニルバーナ体験とは魂や真我に繋がることをかえって阻害してしまうこととなってしまい、各体の頭脳の霊的手術や脳内の組み替えやインプラントや脳内投影による時空間の超越体験は決して魂の真我の体験ではなく、脳下垂体に結ばれている無意識界やアストラル界での体験ではあっても、決してそれは魂の成長を引き起こさない、
それは丁度臨死体験やアストラルトリップでは自我という現在のパーソナリティーがアストラル領域を超えることは出来ないのと同じである
現在の
  パーソナリティー
現在意識
(自我)
脳の脳下垂体という現在意識の座におって自己意識をもっているサイコ・ノエティック体のこと
脳下垂体は魂の座である松果体と一方通行の未成熟状態で繋がれている
自我自己とは私たちの通常の意識であり、朝ベッドから目を覚ました自己意識・若しくは自他に分離した認識をする私達の通常の意識であり、夢を見て、熟睡し、日中は活動している現在意識の私
この通常の意識である現在のパーソナリティーが観照者・魂の意識と繋がるためには(現在はその通路は一方通行であり、松果体から脳下垂体への方向にしか機能していない)思考と行為を通じて、松果体の廻りを覆っている潜在意識や無意識を浄化しサイコ・ノエティック体である現在意識の錬金術的変換を得て、(思考と行為の全てに於いて)「聖なる愛」を表現している必要が有るのである
この自我、若しくは現在のパーソナリティーのレベル状態はサイコ・ノエティック体に於いて表現されており、このサイコ・ノエティック体が開花し、再形成されて魂である永遠のパーソナリティーと一つになり、真の私に同化吸収されるとき、
この自我は蛹から蝶へと変身を果たし、真の私である愛の媒体と成ることが出来る

この現在意識は通常は私・エゴ・人格・個人と呼ばれており、或る覚者によれば、自我の実体の終焉を観照者の開花の前提にしているがそれは間違いで、この自我は思考と行為を愛によって精錬して上位波動と同調できるまで進化させなければならないのであり決して消滅すべき私でも、存在してはならないエゴなどと蔑視されてはならない

この現在の自己という現在のパーソナリティーが造られた目的はアストラル界や物質界に於いて、発生してしまった否定的なネガティブ質料を「愛」に変換することであり、この物質界とアストラル界にあるネガティブの浄化と「愛への変換」のために私達現在のパーソナリティーはここにいるわけであって
自我の終焉、思考とマインドの終焉では決してなく、その浄化と再生、そして真我への帰還によって私達が導管となり愛の光をこの三界に放射することが必要なのです

現在のパーソナリティー・現在意識とは肉体・エーテル複体・幽体・霊体・コーザル体・スピリチュアル体(サイコ・ノエティック体)によって構成されており、その現在の私を投射しているのが永遠のパーソナリティー・魂・観照者であり、この真我・魂からの放射の接点がチャクラであり、クンダリーニです
現在のパーソナリティーとは肉体や五つの微細体で構成されており人格とか個人とか個性とか言われております

肉体の死後、魂と共にバルド49界で一定の期間過ごした後、この現在のパーソナリティーはサイコ・ノエティック体としてコーザル体と共に魂に収納され、他の諸身体は肉体と同じように五大元素に解消されてしまいます
次の転生では大天使によって母の胎内にて肉体などの諸体は新に形成され、魂と共に吸気と一緒にこの物質界に再誕して、再びサイコ・ノエティック体とコーザル体以外は新しくなった諸体を両親から受け継いだDNAの元に受け取り、又継続して、魂への帰還を目指すワークを開始する

※バルド49界とはアストラル界にあり、魂がサイコ・ノエティック体という自我と共に通過する中有界であり、そこで私達の自我が行った思考と行為を魂である自他一如である愛の立場からもう一度体験することになり、そこでの再体験の経験をして次の肉体への再誕となる
しかし、このバルド界が夢の世界と同じ素材で出来ており、夢と同じように非実在であることを照破出来る段階まで現在のパーソナリティーが到達している場合は
このバルド界を超越して、輪廻のないメンタル界上位領域へと移行できます
このメンタル界の上位領域の更に上位なる次元が存在しており実在界4界と言われる次元が存在している

私とは
この「私」という言葉こそ、多くの全く違うレベルの状態をさす言葉はない、だから「私」といった場合、これは「どの私」を指しているのかを、そのときその場に応じて判別する必要がある。
これらが複層的に私という意識を構成している、意識の表面に現れた意識がどの意識かを判別する必要がある
神我のことを絶対なる宇宙意識とか、非顕現の神とか言われる、このキリストとは父の御子であり、私達の純粋主体でありキリストとして降下してハートに接点があり、ラマナの「私は誰か?」の質問をそのキリストがすることで顕現する、仏陀でも同じ
真我を指して私という場合もあるこの場合は「私は在る」又は「存在」と自覚される、非二元性・非分離性・全体性の「I AM THAT」である。全体であり全体と一つなる私
観照者・永遠のパーソナリティー・魂を指して私という場合もある。真我が或る時間と空間に出現したものを観照者の私と言い、現在のパーソナリティーのことを母親のように見守っている私でもある。
別名ハイヤーセルフ等ともよばれており、輪廻転生を続ける魂でもあり、コーザル体を内包し設計図を作る主体、現象界での経験を積み観照者と合一の道をたどる運命であるところの現在のパーソナリティーを常時見つめている、鏡としての私ともよばれている、
現在のパーソナリティー・自己・人格実存レベルを現すサイコノエティック体、この鏡に映っている現在の我の意識レベル状態こそ現象界における“本質”からの実存状態を指し、レベルを示しているのである、これが最初は不定形で胸のチャクラ付近にあり、成長すると人体と同じ形態になり、最終的には成長して、サイキック界、ノエティック界、他の惑星への移行に使われる黄金の霊体となるもので、霊界での再誕の時、その人生での成果として、諸体から分離してコーザル体へと収納される、次回の誕生はこのレベルをもとに諸体は形成され、設計図はこのボディーの成長を勘案して大天使と永遠のパーソナリティーによって設計される
コーザル体魂にサムスカーラとしてまたカルマの受け皿として転生に際しても収納される記憶の体、記憶はコーザル体に収納されるものと、高次メンタル界のアカシックレコードに収納されるものがある
設計図・DNA魂である永遠のパーソナリティーや大天使やカルマの主によって書き込まれた各人生及び今人生における内と外の起きる出来事、これがDNAである設計図の表面に書き込まれたものである・分離性・二元性・個別性に基づいている
肉体・エーテル体・アストラル体・メンタル体
再誕の時、受精卵を両親の遺伝子を中心に造られている諸身体。カルマの主や大天使によってこの受精卵にどの魂が入るかは決められ誘導される、母親の胎内で造られる身体であり、各体にチャクラとクンダリーニがあるがチャクラとクンダリーニそれ自体は魂によって魂の状況を指し示しており、真の私によってチャクラやクンダリーニは投射されている。このチャクラやクンダリーニを現在のパーソナリティーの欲望で開いたり誘導することは出来ない

ワサナ現在のパーソナリティーが肉体との自己同一化の結果生み出した過去世の人格、記憶の集積体である過去世の私である。このワサナが腹部から脳(脳下垂体)を経由して、影響を与えるので自分とおもい私と錯覚する
現在のパーソナリティーが再誕時に永遠のパーソナリティーと分離してワサナとなり、次回の誕生時にその身体の腹部にある潜在意識に引き寄せられる、想念凝集体・エレメンタルでもある、これが完全に浄化されない限り進歩は行われない、但し浄化とは非難や批判や逃避をすることではなく、真の私からの愛と光である受動的凝視が必要である
全く外部の想念帯から訪れている感情やマインドこれを自分自身の想念だと思ってしまう場合が殆どであり、怒りや恐れ、悲しみや憎しみや快楽や喜びや苦痛も頭頂部の受信装置を得て、松果体を経由して脳下垂体で現在意識に意識される。又は松果体の廻りに纏わり付き脳下垂体の現在意識では意識されず、潜在意識として留まっている
チャクラ・クンダリーニ魂である永遠のパーソナリティーの状態を示しており各所体に焦点を合わせられている。それぞれの次元からの真の私のエネルギーを通過する場所(中継点)でもある
非二元性が神である、非分離性が神である、神は対象ではない、神は真我と分離していない。真の神の探求は二元性を超えたレベルから始まる。ここがポイントである。非分離性と非二元性の中でのみ、見るものは見られるものの中にのみ、それは「在る」
二元性の、対象の、客体の神という実体は分離性であり、二元性である。自分が主体の時の神は客体である、二元性であり虚偽である。
高次の純粋意識存在は知覚の対象として出現したり、オーバーシャドウしたり、チャネリングしたり、自動書記をしたり、テレパシーでは交信しない、テレパシーそのものがマインドという分離世界のものであり、マインドと思考の媒体である。高次存在は魂の内側から愛と叡智の直覚での非顕現領域で在り、言葉と感覚の対象を越えており、交信するという考えそのものがアストラ界の考えであるので
言葉を語ったり、映像や象徴や対象として出現することはない
人格
(自我)

真我の「現象界での顕現である」観照者の魂(鏡)がエーテル物質界に於いて、現在意識である脳下垂体に繋がった結果として形成される想念形態。
私と言うエレメンタルでありサイコ・ノエティック体と同一視される事が多いが、肉体の死後、転生時にはサイコ・ノエティック体と分離されてワサナとなる
現在のパーソナリティーがマインド及び肉体と五つの精妙体との自己同一化により発生する想念形態、想念の凝集形態エレメンタル
このエレメンタルは分離意識「自我」であり、通常これを現在のパーソナリティーは自分自身と錯覚している、現在のパーソナリティーが五つの精妙体との自己同一化をした結果の総称である

この人格・自我・個人が物質界の生を終えて観照者・魂から分離し、更にサイコ・ノエティック体という現在のパーソナリティーからも切り離されたときワサナと呼ばれる
ワサナ
五蘊ともいう、物質界・幽界・霊界で作られた人格が観照者から離れた状態の自我意識であり主に記憶から構成されている想念の実体。
転生する本体である観照者が次の物質界の肉体に生まれ来るとき再びその観照者に集まってくる過去世で作られた人格(想念形態)の総称
けれどもサムスカーラとはワサナではなくて現在のパーソナリティーが今生、努力し形成してきた成果であり音楽や医学の成果などの成果はコーザル体に収納されて次の人生に引き継がれていく

五つの精妙体、アストラル体、メンタル体、コーザル体又はサイキック体ノエティク体など呼称は様々であるが、それらは現在のパーソナリティーの乗り物を構成するものである。肉体の死後、バルド界での49日間でエネルギーのエーテル複体等は死滅し、転生に際して、それ以外の諸体は、分解する(肉体と同じように)、しかしワサナは中有界に沈み、自分を生んだ観照者・魂の転生をカルマと共に待つ

マインド
思考、想念、そしてそれが生み出す感情、欲望そしてそれらの記憶を総称してマインドという、別名こころでもある
マインドにも非常に多くの段階とレベルがある
地球のマインド(地球魂)もあり、宇宙心(宇宙魂)もある、非常に幅の広い質料であり段階があり次元がある
禅宗を含めアドヴァイタでは゛マインド自体は根本無明とも言われ、地球を電離層のように被っている集合意識とも言われるが、正しくはマインドは全宇宙に浸透しており現象界のための神の道具、若しくは宇宙意識の現象界での道具とも言われている
心マインド自体は二元分離性ではあるがネガティブではなくて中性的なものであり、ネガティブなマインドと一般的なマインドを混同してはいけない

けれどもマインド自体には、高次元である魂の系統にある純粋意識や純粋理性や絶対愛は持っておらず
このマインドの内の否定的マインド、ネガティブをマインドではない純粋意識の愛に変換することが
低次現象界の役割でもある
この目的のために魂はチャクラとクンダリーニを通じて現在のパーソナリティーを生み出し、ネガティブなマインドを愛の波動に変換しようとしている

想念帯 地表から500b上空に帯のようにして存在している、人類の過去からの想念の集合意識
アカシックレコード アカシックレコードは、アストラル次元にあるものは正しい記録ではなく、メンタル界上位にあるものが正しく、各人の魂を経由して人類共通の普遍意識であるメンタル界の上位にあり全人類の全ての魂としての記録が納められている
肉体
真我と魂である永遠のパーソナリティーは絶対なる宇宙意識が創造し
肉体は真我の表現体として諸体と共に叡智の御方が宇宙法則によって創造された。
この「エーテル肉体の頭脳の脳下垂体」と「松果体にある魂の内奥の純粋意識」と繋がったときは真我がこの物質界における表現体として肉体を使用することが可能になる、

サイコ・ノエティック体が進化して黄金の霊体が幽界や霊界での乗り物の身体である(この黄金の霊体こそ真我の使用する乗り物である)とおなじように。

しかし観照者・魂と現在意識が繋がらず、直列になっていないときには現在意識である現在のパーソナリティーはこの肉体と同一視し誤って錯覚し、私は肉体である、私は人格である、思考であり記憶であるとの錯覚に陥る

@肉体自身は最高の叡智そのものの表現体である、完璧なる自律作用で維持されている、完全なる叡智・聖霊・地球霊・地球魂が管理し運営している

A肉体の器官としての意識、これはわずかな肉体そのものの記憶と肉体自身の意識、各器官の意識で構成され、動物と同じ様な意識であり臍下の一点には人間の肉体の集合魂との接点があり、それは健康と人体の正常なる組織と運営を司っているがこれは肉体の動物としての集合魂であり、永遠のパーソナリティーの純粋意識ではない

Bこの肉体を維持しているエネルギー体、エーテル複体の働き、要するに「気」のエネルギーと、その構成体も肉体に含まれ、これが感覚や生命やエネルギーを脳に伝える媒体になっている

実存
ステート・レベル

観照者・魂の現象界における、「真我・真のわたしと結ばれる旅」での現在のパーソナリティーのレベルを実存・ステートという、無限の段階がある
これを真我から見ればこの実存は無いとも言える、段階はないともいえる
しかし現象界から見れば、この旅はあるとも言える、旅の途中であるとも言える、だが真我を実現した覚者から見れば真我のみがあり、全てはキリストのみでありこの実存は仮象であるともいえる
実在は真我であり、実存は仮象の姿である


テレパシー
純粋意識はテレパシーを介在しない、使わない、魂の内奥から非言語の直覚で伝える、即ち沈黙である
真の聖なる方々は言葉を交わさず思考を使用しない、従ってテレパシーを用いず、非言語である直覚で
全てを同時に完全に認識し、魂の内奥を通じて伝える
テレパシーは4次元の意思疎通手段であり、思考と感情と想念を伝達している、が高次の純粋意識の次元はテレパシーを使わず思考や想念を伝えず用いず、直接に非二元的に全体が即時に理解する
巷での神や天使の言葉としてテレパシーによるお告げや、オーバーシャドウやチャネリングや自動書記や霊感やひらめきや神の直接の言葉というような言語を媒体として伝わってくるのは純粋意識からではなく、「自分を神だと思っている想念意識体のもの」からの通信であり
この物質次元に非常に近い次元のものであって魂の内奥の純粋意識や純粋理性のものではない
高次元の方は決してオーバーシャドウやテレパシーを使い言葉やメッセージを伝えない、魂の内奥から伝える
微細体
良く言われるエーテル複体、アストラル体、メンタル体、コーザル体などを纏めてさすもので、肉体はこの諸体をベースにして作られているが
これらはあくまで肉体と同じく観照者・魂・永遠のパーソナリティーの現象界での乗り物である、


黄金の霊体
又は光のボディー

五つのコーシャ(精妙体)は魂をベースに順次作られていき、肉体の死後は霊界で順次脱ぎ捨てられていく、また現在のパーソナリティーがそれとの同一視で作られたワサナ・カルマは次の転生での観照者に引き寄せられるが、現在のパーソナリティーが輪廻に渡って形成した身体がサイコ・ノエティック体であり
そのサイコ・ノエティック体が完成した体が(蛹から蝶になる様に)黄金の霊体と呼ばれる

その黄金の霊体又は完成したサイコ・ノエティック体と、各種精妙体とは異なり
現在のパーソナリティーがこの物質界でエーテル・アストラル・メンタル体をベースにして、気づき(マインドではない)のレベルに達し、超磁気的エネルギを集中させて創られる身体である
覚者方はこれを使って物質界のみならず幽界や霊界で人類救済の為働いておられる

高次に発達し消え去るべき5つのコーシャ(精妙体)ではなく、実存の発展のレベルに従い形成される死後も死滅しない観照者の乗り物である身体を黄金の霊体という。
それが更に高次に作られれば、その範囲も地球から他の惑星、銀河にまで同調し自由に活動できるという

しかしこれは高度に進化した観照者が使用する身体で、物質界のみならず、あらゆる現象界である幽界、霊界、神界、そして天界、惑星間や銀河間さらには他の宇宙間すら自由に出現し、行動しテレポテーション、テレパシーの現象化、分身化、最小化、最大化、形態変形化そして時間移動などを可能にする
通常このレベルに到達した真人は転生しないで、この身体を使って各次元で救済のために活動していると言われる



記憶 ■観照者での記憶
観照者自身は過去世の人生の全ての出来事も、表面に現れない自分自身の思考や感情、想念、人には全く見せられない想念なども、全てあるがまま記憶し、現在のパーソナリティーの個人を全く本当の意味で完璧に記録している。
これは体験した内面や外面も含めてである、そのときの周りの人々の状況、何を相手にしたのか、そのときの相手の内面の状態や状況はどうだったのかを、本人以上に完璧に客観的に記憶している。
この記憶は物質界を離れるとき現在のパーソナリティーがスクリーンで見ることになる、私がしたこと、私に起きたことを、相手の立場に立って体験することになる。

■肉体の頭脳での記憶
意識の座である脳下垂体からこの脳への記憶が最も、強く脳に信号が送られるため、他の記憶は意識面に昇らない事が多い、ここで注意することはここの脳の記憶は意識の座からの戻り情報だと言うことである。
意識の座である脳下垂体から受け取った知覚や情報や感情、記憶は脳にフィードバックされフィードバックされた情報を脳は記憶する、但し肉体脳だけではなくて各種身体の頭脳も同じように機能している

■頭脳を経由しての想念帯での記憶(アカシックレコードとは別)
今までの12000年毎に更新されると言われる分離層にある想念帯には、過去12000年間の人類全ての苦しみと悲しみ、二元性の分離性の錯覚に基づく想念と感情、今まで体験したことのすべてが記憶されているという。これは地球の想念体4次元レコードであり。これとは別にメンタル界の宇宙のアカシックレコードも存在する
■人格やワサナからの記憶
主に下部のチャクラに引き寄せられて繋がったワサナは、そのチャクラから脳を経由して信号が送られるため、脳・意識の座は現在の自分自身の思考や感情であるかのように錯覚してしまう。またそのワサナの記憶が単なる思考や想念の傾向ではなく、ハッキリとした記憶である場合は自分の前世の記憶として感じられるが、その取り憑いたワサナは必ずしも本人のものだけであるとは限らず、バイブレーションの同調により引き寄せられたものもある

いずれにしてもそのワサナなり人格は、元々は外部の想念帯などからやってきたマインドがその本人の脳を経由して創りだした物であり、苦しみ、恐怖、不安、苦痛、葛藤を根本にしている

■肉体そのものの記憶、各器官の記憶
肉体は私達とは隔絶した、最高度の叡智により作られ、維持されている。この意識は無限の叡智そのものであり生命そのものではあるが、私達の意識とは直接にはコンタクトできない、私達にとって丁度、私達がこの個別の分離意識を持っているように、肉体にもそれぞれが細胞レベルで、また内臓や筋肉や器官毎に、それぞれが個別の分離意識を持っており、不思議なことに私達が観照者の意識に繋がるとき、その器官の個別意識とも繋がることが出来る

■精妙体での記憶
精妙体はそれぞれメンタル体(思考体)、サイキック体(感情体)などと名付けられるように、マインドのある部分をそれぞれが分担して受け持ち、作用を司どっている、、サイキックやアストラルは感情の作用を、メンタル体は主に思考作用を受け持ちコーザル体が記憶を受け持っており、それらが情報を脳にフィードバックしている
また人格はそれらの精妙体ではなく、その精妙体の作用や活動を通じて作られた(思考作用や感情作用など)想念感情の固まりである

脳は条件付けられており、人類が全員同じ構造であり、しかも宇宙の頭脳とも関連しており相似形であり
肉体の脳と、アストラル体の脳と、メンタル体の脳が協調して働いている

脳は受信器であると同時に発信器でもあり
真我の接点でもあり、現在意識の接点でもあり、潜在意識とアストラル界の接点でもある
脳は意識の座でもあるが、純粋意識は魂にあり脳には影響されない
脳は宇宙のマインド意識の相似形でもあり、(純粋意識ではない)宇宙のマインドの働きとも繋がっている

@脳は条件付けられている、遺伝子によって。
私達の本来持っている12組ある内の2組しか、動いていないと言うことは、高次のエネルギー・愛・叡智は脳の条件付けにより歪曲されて観照者の意識の座・松果体に届けられ、観照者の鏡を被ってしまうのだ。従って脳は肉体を自分だというマインドを現在意識の座である脳下垂体に送り、現在のパーソナリティーは葛藤に陥る

A私達の見る世界、聴く世界、感じる世界は、五感を通じてインパルスとしてまず条件付けられている脳に届き、その情報は現在意識の座である脳下垂体に届くが、その脳の条件付けによって非常に歪曲され
その結果人類共通が決まってこの地球世界をある一定の枠に常に歪曲されて知覚している。

B観照者の意識の座は、肉体の松果体に縛り付けられ、シルバーコードによって、その行動範囲は制約されている(黄金の霊体が形成されない限りは)また観照者に届く知覚と認識と思考と感情は脳を経由したものしか受け取れない、が観照者・魂の内奥は真我であり愛であり純粋意識であり、純粋理性である

C認知症や脳障害は、観照者・魂の障害ではない、また記憶も各体に分散されて記憶されているため、脳が破壊されても失われることはない、

D脳に現在意識の座が縛り付けられているため、脳に起こっている事、即ち思考や想念感情や認識や知覚や体験や自己感覚や時間認識や対象認識、空間認識も全ては脳内の現象でもある

ディクシャによって受ける脳の影響や、LSD等の薬物の影響、脳内麻薬による効果は一見すると悟りや覚醒と思われる意識の拡大や愛の意識の高ぶり、万物との一体感、ニルヴァーナ体験も引き起こせるが、その体験はあくまでも脳内の一時的な体験であり、実際にはナーディなどの神経に損傷を与えてしまい、その悪影響は各種精妙体に甚大なる傷を負わせることとなる、その至高体験も薬物の体験と同じく薬の効用が消滅するとき消え失せる

また宇宙意識の想念形態であり、高次の純粋意識や「愛」なる純粋理性を持たない数万年にも及び生き続けている「意識想念体」は通常の人間には遥かに及ばないほどの知性を持っており、アジナチャクラから光を発している者に(松果体からの魂の光ではない)に引き寄せられて、その人間の松果体第三層に憑依する
その想念形態の意識体は自らを神だと思っており、能力もあるので、その憑依された本人は自らを神の代理人、若しくは「自分は神である」と錯覚してしまう

他のこの地球以外の進化系統である三次元若しくは違う次元からの意識体からの脳内へのインプラントや脳内手術や遺伝子組み換えも数多く行われてきた、
けれども

この何れに於いても、この脳はあくまで真我である私・魂の物質界とアストラル界メンタル界の接点である
真の私は魂の内奥の純粋意識であり、純粋理性であり、愛であり、慈悲であり、全てと一体であり
完全完璧であり、全ては全てであるところの全体である

真の私は脳を超え二元分離や善悪を超えており現象次元を超えており、貴方と一つなる者であると
inserted by FC2 system