神智学入門(原文英文・1986年 玉井辰也訳)

最初に理解すべきは、ブラヴァツキー=オールコット神智学とベサント=レッドビーター神智学の本質的差異である。この両者の識別なくして神智学を論じることは無意味だ。ブラヴァツキー夫人の没後、夫人を羨望する輩がその後を襲おうとした。例えば、アリス・ベイリーやエレナ・レーリッヒの類である。上記同様、ブラヴァツキーの「大師たちの教え」と、上述の偽後継者たちのそれには、天地懸隔の差異がある。私は言明する、「真実にして全一、永遠なる神智学」が存在する、と。それは、あらゆる迷妄と虚構を免れ、真実のみから成り、一般大衆の眼には触れない。一方、様々な著者による様々な神智学の教えがある。原型に近いものから単なる寝言に至るまで、玉石混淆あらゆる形態の教えだ。問題は、一般人にはそれら玉石が同一に見えることなのである! 例えば、ブラヴァツキーが真正イニシエイトだったのに対し、アニー・ベサントやC. W.レッドビーターは真正オカルティストではなかった人間的には善良だったかもしれないが。アリス・ベイリーやエレナ・レーリッヒの「大師たち」は虚構だ。またエレナの夫による同主題に関する著作も同様に信ずるに足りない。

神智学に関する最良の書は、ブラヴァツキー夫人、そしてスッバ・ロウの著作以外、微々たるものだ。その中で最も興味深い一冊が、『A.P.シネットへのマハトマ書簡 The Mahatma Letters to A. P.Sinnet』である神智学の入門書という訳にはいかないが。最初読んだ時には、さほど印象に残らないが、再読三読するにつれ、啓発され、深く心裡に刻印される書物がある。私にとって、本書などは差し詰めその類の書物に属する。(グルジエフの『素晴らしき人々との出会い Meetings with Remarkable Men』も同類の書だ)

所謂宗教的な人々や神智学を心霊主義(スピリチュアリズム)と誤解している人々は、この書簡集に述べられている思想の幾つかに衝撃を受けるだろう。例えば、第10書簡にこうある。

私はここで、力を得て以来久しく人類に災いなしてきた厄禍のほぼ三分の二を占める最大かつ根本的原因を指摘しておきたい。それは、宗教だその形態や民族を問わず。即ち、聖職者階級である。宗教こそ人々が聖なるものと仰ぐ幻想の中に成長し、諸悪の根源であり、人間をほぼ支配下に置いた人類の大災厄であることがやがて明らかになるだろう。無知が神々を発明し、狡猾が時を得たのだ。

同じく「我々の哲学にも実存にも、神への信仰はない」。これは、誤解の余地のない明白な言明である。然るに、神智学協会歴代会長の中には、「大師たちの中には神或いは神々を信じている方がいる」と書いている者もいた。人間は、得てして見たくないものは見えないものだ。また同書簡には「我々が信じるのは物質のみである」ともある。何と、世間一般の通念に反して、神智学者は、ナスティカ(無神論者)であり、ローカーヤタ(唯物論者)なのだ無論、一般的な意味ではないが。

そして第134書簡では、自称宗教的若しくは道徳的人間には決定打となる言葉に出くわす。

「私は清浄無垢の生活を送っている、私は飲酒、肉食を断ち、あらゆる悪徳に汚されない、わが志望は善をのみ希求する」等々と現代のヒンドゥー教徒たちが主張しても、我々にとってそれは何の意味も持たない。真のアルハット(阿羅漢)の弟子、真のサンガ(僧伽)の徒である我々が、伝統ブラフマニズムと何の関係があろうか? この上なき清浄な生活を送りながら、迷信の途上にある無数の遍歴者や出家者、苦行者がいる。然し、彼らの誰が敢えて仏教徒になるだろうか? 皆無だ。S氏やH氏は例外である。彼らは誤った信念には囚われていないからだ。無論、その飲酒、交際、放恣な身体的接触等の悪影響は存在するだろう。だが、それは身体的・物質的障害に過ぎず、ごく小さな労力で中和することができるのみならず、さほどの負担なく一掃することさえ可能だ。誤った信仰の齎す汚染や見えざる悪果の比ではないのである。

放恣な身体的接触」という言葉は、主に性行為を意味するから、この言明の何と革命的なことか! また第131書簡では、オカルティズムの何たるかが簡明に示される。

神秘道の修行を始めれば、早晩否応なくそういった力が開発されることになる。だが、超能力の獲得だけを神秘道修行の最高かつ究極の果実と看做すような観点は、神秘学に対するかなり低級な見方と言わねばならない。単なる超常力の獲得は、神秘学の学徒に永遠の生を保証しない自身の腐朽する物質的身体に起因する個我意識から、第七原理に基づく不朽かつ永遠なる〈非我〉へと次第に移行する術を学ばない限りは。この永遠なる〈非我〉の獲得こそ、神秘学の真の目的なることを熟慮せよ。

最後に、この「神智学入門」の章を、プロのオカルティストが初心者オカルティストに贈る訓戒の言葉で閉めることにしたい。

神秘学を学ぶことを発心した学徒は、目標を達成するか死滅するかのいずれかである。一旦大いなる知識の道を歩み出した以上、逡巡は錯乱に至る、停止は墜落だ、後退は転落、奈落の底へ一直線である。


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