レベルD(1〜250)の私
人格個人としての私

(我々一般地球人・肉体を私と思っている段階)
(言葉や想念意思の疎通や思考での伝承伝達可能)
地球霊の身体である動物魂の肉体での意識
頭脳で受信されている思考→思考の私=記憶の私
及びその記憶の私の反応
(思考が思考者を生み、思考者の記憶が人格を形成している。起こっている行為が行為者を生みその行為者を現在のパーソナリティーは自己と取り違えている)

 レベルC(1〜500)の私
現在のパーソナリティーとしての私
自我の私・転生している私
実存の私


・現在のパーソナリティーとは魂からの意識であるが
過去の記憶を遮断されており、脳内の現在意識の座に縛られている。魂とはシルバーコードで結ばれている。シルバーコードの状態が魂の意識を伝える役目の状態、即ち意識の階梯である

レベルB(251〜500)の私
魂の私

(真我の目覚の始まり・直覚)
(言語や思考では説明や理解不可能の次元の私)
肉眼や霊眼の知覚対象とはならない
分離した自己の感覚の終焉
自己関心や分離した自己からの完全なる解放
自己を忘れている意識状態
自他に分離している私など初めからいない、万物がブラフマンであるとの実感をしている意識
解脱すべき私は初めからいなかったことに気がついている意識
 

レベルA(501〜750)の私
(真我の私)
(真我覚醒・の段階)
(完全な沈黙・叙述不可能・伝達継承不可能)
普遍的自己の覚醒
自己と他己の区別の終息

  

レベルAA(750〜1000)の私
(神我の私)
(神我・非顕現・全次元普遍意識)
   
 現在意識(熟睡・覚醒・夢見の状態)「私という観念」に魂が覆われている状態)
意識の座(鏡)の意識(意識の座という純粋主体が認識している状態)普遍生命 
 純粋意識・全体・内部と外部・の非分離・非自己・非空間・非時間・非マインド・非対象・非二元・非分離
 絶対
意識の階梯とは何か?現在の自分とはどのレベルの私であるのか?現実実際の私の実存(現在のパーソナリティーの状態)が最大に問われている。概念や知識や哲学で真の私を推測しても、実際には知ることはないからである。真の私のことは知識や概念や理論や体験や哲学では知る事ができないのだ。真我の教えや聖者や賢人の言葉では真の私を知ることはできない。現在の私が真の私であるときにだけ、真の私のことは知られるのだ。それは起こる事である。現在の実際の私がどの階梯の私であるのか?現在の自分が内奥の私と繋がるためには、現在の私が内奥の私と繋がることが最大の関心事であり、そのことに熱心でなければならない。現在の私が真の私と繋がることこそ、緊急の一大事なのであるこの意識の階梯は起こっている事であり、現在意識の私が真の私と繋がることは起こる事である。この現象界のシステム全体が愛で成り立っている。それは現象界を見れば分かるように愛ゆえに、自我である現在のパーソナリティーの自己犠牲と自己否定を通じて成り立っているのがこの二元性の世界のありようなのである、自我の死を通じて、現在のパーソナリティーの死を通じて、魂の死を通じて、心とマインドの死を通じて無限なる意識が顕現するのである。それは愛であるからである。低次の私から高次の私に至るまで総ての私は根源の内部にあり、根源でないものはないのである。
 意識の総称 人格・個人

心/マインド→想念→記憶→記憶の反応(記憶の反応としての自己)
行為・思考・感情・衝動として起きており、行為している私
肉体意識の私、感情体の私、思考体の私、動物魂の私DNAの内容、カルマの内容などで成り立っている私
 

現在の私

コーザル体とも呼ばれている私
あさにはベッドから無明の内に目覚め、そして死後も無明の中で冥界で生存し、新たなる肉体に宿って自分を肉体だと錯覚しているシルバーコードによって魂と結ばれている肉体の行為と同一視している自我の私
起こっている身体の行為や思考と同一化して自分が行為していると錯覚している私、この私が行為や思考や衝動と同一化せず自身の内奥の純粋意識に向かうことが八正道である。
現在のパーソナリティーが自分自身である真の私に気がつくことが現在のパーソナリティーである自我に求められている。具体的には思考なくして内部と外部をあるがままに観照することである。
.
 意識

個我感覚の消滅・終焉
自我感覚の終焉・死滅を経て意識に入る

心・ハート→気づき→意識
真の言葉→息・生命→認識の認識
 
純粋意識

非思考・非対象→真の私→普遍意識
言葉や解説では不可能な次元
心やマインドや時間や空間ではない意識 
 
宇宙意識

不二一元
光りを超えた光り
  
 身体 肉体(復体)→言語器官・感覚器官(幽体)→言葉・思考器官(霊体)→知覚器官(自我・現在のパーソナリティー)→認識(魂・生命) 
意識名称 通常意識又は現在意識

・肉体の意識、諸身体の意識・現在のパーソナリティーと地球霊(地球魂)からの欲望や思考で成り立っている
・欲望や記憶とその記憶kの反応が混在している意識状態
・記憶の私、記憶の反応の私、DNAの反応の私
・カルマからの衝動
・この私は、心の根源からやってきているマインドの記憶の反応の想念の私であり、この記憶の私であり、人種の集合意識、地球の集合意識の私でもあり、記憶の私として、記憶からの反応を繰り返し、各種の脳にやってきている思考や欲望や衝動に対して記憶から反応している人格や個人と呼ばれている私、脳の条件付けに従ってやってきている思考が生み出している思考者
・やってきている思考や感情や想念であり、その想念や思考が生み出している思考や想念の私である

 現在のパーソナリティー

魂から投射されている現在のパーソナリティーとしての意識で根源が演技している意識であり、この意識が魂と融合し、魂に付着している根本無明を観照することがこの意識の役割であるが、肉体や諸体の脳に受信され、その受信された思考や心が記憶されてその記憶からの反応を自分だと誤って解釈している私であり、シャンカラに拠って統覚機能とされている魂の現象界に接触している魂の現在意識部分である
・脳と神経によって同一化しているので条件付けられた脳の意識によって左右されてしまう。脳の思考を自分の意識と混同している
現在のパーソナリティーの特徴は思考・記憶(低次マインド)の反応、「私という観念」からの反応によって左右されていることである
・脳下垂体を中心とした現在意識に意識の焦点がある

日中の覚醒意識→夢意識→熟睡意識でもある
熟睡時には魂と共に高次の意識に触れるがそれをシルバーコードの状態が不全であるので思い出せない


永遠のパーソナリティー
穢れのない鏡・意識の座
観照者・気づき意識
ハート・心(高次マインド)
高次感情・高次思考
霊的身体の松果体・統覚機能
(アートマンは自分の一部を分光として三界に投影している。その接点から認識光を通じて映像を認識している。その接点が統覚機能であり、俗に魂と呼ばれてるが諸体ではない意識であり、無知に取り囲まれている)


「私と言う観念」から解放されているので「私が」「私の」という自我感覚は絶滅している
アートマン

真我意識

純粋意識
第四の意識
非対象・非思考
心やマインドから解放されている意識状態
(私という観念ではなく真の私)
蓮華の中の宝珠
統覚機能・魂の内奥

個人ではない全体の私としての実感意識
神我意識
キリスト意識
 機能・器官 言語器官・五感器官→ 思考器官・言葉知覚認識機能
肉体脳(送受信・低次記憶・翻訳・情報処理)
エーテル複体脳(生命感覚知覚・エネルギー処理)
アストラル体(感情機能・アストラル知覚認識)
メンタル体(思考機能・知性理性認識)
コーザル体=自我
転生を記憶している身体・器官
(魂への情報の処理引継ぎなど
サムスカーラとして前世の特性や情報を引き継ぐ)
 
アチューメントの前段階
有情・無情との同一感
 
・呼吸・息プラーナ・血流の循環を起こしているいのちそして生命である
 魂はスピリチュアル界に有り三界の次元ではない(スピリチュアル体と言うこともある)
・「私という観念」に覆われてしまった状態にあるので、自身の内奥(真我・全一体)に気がつく必要がある
アチューメント(一体感)
蓮華の中の宝石
魂の内奥の一点 
高次元現象界
エレブナで言うソウルセルフエピグノーシス
テオーシス(万物との完全なる融合)
完全なる万物との一体・非分離 

ラーマクリシュナのいう大明知(不二一元)でここから明知(真我・愛・智慧)と無知(分離・マインドなど現象)が生み出されている
身体  現在の自我は肉体・エーテル複体・サイコ・ノエティック体・
コーザル体などの五つの鞘と結合されている 
自我・現在のパーソナリティー自体とは諸身体ではなく魂の放射意識でコーザル体である
自我・現在のパーソナリティーは息であり、血流をして呼吸によってプラーナを循環している生命に
よって維持されている
 
魂なので諸身体ではない
(写真に写ったり霊眼で見えたりしない)自我体が魂と結合している場合は、輝いており、憑依されたり、チャネリングされたり、オーバーシャドウされたり、することはない 
 すべてに遍在している高次空間
身体ではなく純粋空間の意識である
 
 神道の観点から  現在のパーソナリティーが思考と同一化して、その穢れによって鏡を覆っている
(分離した私という観念に巻き込まれている) 
御鏡(真の私を映している鏡である) 
四魂(奇魂・荒魂・和魂・幸魂)
一霊(直霊) 
 
輪廻 
  • 肉体の死後、エーテル複体は数日後にその次元の元素に環流し、生命である私と共に魂+自我現在のパーソナリティー+精妙体は肉体を離れて、夢の次元である冥界に留まる
  • 続いて再誕のサイクル時には諸体も同じくその次元の元素に還元し、今世の情報はコーザル体に記録される。諸体は元素に還元し現在の人格・個人は記憶として継続しないで自我であるコーザル体へ収納される。
  • その魂再誕時には諸体は諸体の情報とカルマに基づき、コーザル体である自我が母親の胎内に胎児の初めての呼吸時に胎児の頭脳と結合する、その肉体と諸身体は前回人生の情報に基づいて新たに天使方の作用により創造される
 
  • 輪廻転生の主体は魂ではなくて魂からの光線である自我であり、行為している肉体に巻き込まれて行為しているカルマの引き受け主体。起こっている事に対して起こしてしまう、行為の責任者であり行為していると思っている行為者である
  • 再誕時には魂は呼気と同時にその
    新生児の松果体に入り肉体に結合する
  • 行為していると思っている行為者を観照している
  • 行為していない真の私、真の私は行為に関与していない。生まれず死なず至聖なる、すべてに遍満している真の私
 
時間感覚の有無
  • 身体・マインド・このレベルの意識は各種の時間に支配されている
  • 死後のバルド界は物質界とは時間と空間が全く異なるが、この異次元に関心を持っていること自体が自分自身からの逃避であり、この交錯している次元を詳細に調べてもその調べている、当の主体である自己の実存レベルによって、その対象次元は変わって表現されてしまう。何故ならそれらの異次元は自己の投影であり、現在のパーソナリティーが自分自身と融合したとき、その異次元も世界も一なるもののなかへ融合し、主体と客体は一つになっているからである
  • 時間と空間、次元と宇宙の探索、探求は自己に行き着かない限り知られることはない。無益な作業である
 
  • 気づきの意識には自我は存在しない、このレベルは時間を超えている今と呼ばれている
  • 総ての時間を成立させている非時間である今


自己感覚の有無
  • マインドとは自己関心、自意識、自我へのこだわりであり、個人や自分が肉体だと思っている「私という観念」に全く同一化している
  • マインド(ハートではなく思考)が自我であり自己関心が自我の顕著な特徴である
 
  • 完全な自己忘却、それ故に気づきの萌芽が始まる
  • 自己関心の動きを見つめている状態の気づき
  • このレベルの自己とは同じ自己でも自我ではないアートマンである自己であり、「私は世界である」そのものの認識
  • 私のなかに世界があるの状態

行為感覚の有無   
  • 自分が行為しているという実感があり、自由感覚があり、自分の自由意思で行為も思考もしていると思っているし、そのように実感がある
  • 魂と現在のパーソナリティーは自分が行為していると、映像に対して反応してしまい、これが結果(カルマ)となり、その結果がカルマの原因となり輪廻転生の輪が続く。魂を通じて行為は投影されており、現在のパーソナリティーは自分が行為していると実感している
  • この出来事・行為・思考という映像も、それに対する反応である魂の行為も、魂が巻き込まれている「私という観念」も、そして魂も、すべてが根源が起こしている事に気がつかない現在のパーソナリティーも魂は自分が行為しているようにおもわれるので、魂である統覚機能を通じて行為が投影され、なされていることに気がつかない
 
 
  • 脳内に映像が現れており、その映像に対して、(その映像である出来事や行為に対して)自我が反応を起こして行為に巻き込まれているのを観照している
  • 魂である統覚機能を通じて映像が行為と思考が投影されており、その魂が「私という観念」に覆われて記憶である自我が行為していると錯覚してしまい、魂が輪廻に巻き込まれいる
 
  • 全ての魂の事を愛しており、真の私は肉体でもなく魂でもないので、行為にも思考にもマインドにも関わっていないことを実感している。無為の実感がある
  • 行為は神が起こしている、「私という観念」を使用して神が無知と明知の両方を使い分けて現象界という物語を自らが演じている
 
  • 行為は起きていない、神がすべての現象界の有情と無情を使い、「私という観念=無明」を使って行為を起こさしており、行為している映像も、その映像に対する魂も神の自作自演である
  • さらには根源の根源、すべてである神の神である神我そのものであるとき、実はこの神の演技、神の遊技もなかった。何も起こっていなかったという事が理解される。がこれは全く持って概念ではなく、知識の理解では不可能であるシャンカラのレベルでないと理解不可能である
全体的特徴
  • 肉体と同一化し、思考や感情と同一化し、自我と同一化しているので、肉体の感覚や脳の状態を自分の状態と錯覚して、出来事や起こっている事や病気の影響を感じる
  • 脳内に生起している感情や思考や想念や欲望や行為に対して自分の想念であり自分が思考し、自分が行為していると思ってしまう
  • 感覚の対象を感じており、他人がいて自分がいるという「私という観念」に覆われている
  • 統覚機能を通じて投影されていることに、即ち起こっている肉体や諸身体出来事に全く同一化しており、お金がないことや、故、災難に心が動揺し常に心配している状態
  • 映像である起こっている事に一喜一憂している状態、自分を全く肉体だと信じている
 
  • 病気の影響は受けない、受けたとしても自分ではなく、着ている洋服に染みが着いているのを見ている感覚
  • 自然との一体感を強く感じ、その相手の動植物などとの会話が出来る状態(但し精霊などのコンタクトや薬物の使用による結果である変性意識に拠る意識ではないことに特に注意されたい)
  • 災難や不幸を人類共通のマインドが私であるとの認識でそれを客観的に見ている不動心の状態、それらに影響されない状態
  • 個人存在が消滅して気づきの全体レベルなので、マインドではない共通の意識としての存在の有り様であり。これは共通テレパシー、共通テレポ状態などという思考伝達する思考が無い、沈黙の澄み渡っている静寂状態

肉体をどう見ているか
  • 肉体と全くの同一視して、自分は病気をした、自分は年を取った、私が生まれた、自分が死ぬという感覚を持っている
  • 死後も自分は肉体だと信じているので想念とその信念で自分が肉体を持っているような現象が現れる続けている
  • 幽体離脱等の体験から自分は肉体だけではないとおもいはじめる、がしかしその幽体離脱も幽界へ行ったのではなく、自分の無意識界というバルド界での体験に他ならないそれは真性アストラル界ではない
  • 肉体の進化論を人類の進化、人間の進化と取り違えているほど肉体と同一視している
 
  • 肉体を自分とは全く別の存在と感じていて、見ている
  • 自分の意識、意識の存在を頭の後方に感じている
  • 自我である現在のパーソナリティーを愛の中で抱きしめている
  • 肉体の寒さ暑さなどの五感や感覚・知覚に影響されない状態
  • 肉体は意識をあてると存在していて、微かにその存在を感じている状態
  • 通常は全く肉体にはいない、真我は肉体ではまったくないのである

 自分自身をどう見ているか  
  • 自我とは何か?この自我である私とは、もちろん思考であり、思考の記憶であり、その記憶の反応である。しかもその記憶は条件付けられているので、当然思考も条件付けられており、自我も同じように条件付けられている。肉体を自分だと思っており、常に方法を求め打算的で真我に成ろうとしている。常にこの自己は対象として世界を見て、自分ではない他者や神というように知覚している
  • 自分即ち自我は、この個体・単体ではなくて、全人類共通の同一の自我である。自我は同じ構造なのに自分は他人とは異なっていると思っている。なぜならこの地球人類は同じ条件付けであり、全人類は共通の同じ自我を共有しており、自我は一つである、それなのに自我は、自分は自我で他人の自我とは異なっており、自分は成長して悟らなくてはいけない、真我を実現しなければいけないと思い込んでいる
  • そして自我である私は、自分が行為している、自分が思考している。自分が生きていると思っている。行為が行為者を生み、思考が思考者を生み、経験が経験者を生んでいる。自我とは起こっている心が生じさせている現象であり、起こっていることなのに、その起こっている自我は自分が生きて、自分が行為していると錯覚している。だが呼吸し生きているのは生命であり自我ではない
  • 自分は他人とは違う自我だと思っているが、それが思考の記憶の私の特徴である自我とは心の結果であり、「私は」「私の」と思っているものである。それは物質であり、質料である
  • 根源が自我を使って行為し、演じ生きられている。魂の一部はそれを私は自我だと勘違いしている
 
  • 思考からはこの真の私は知覚できない。思考の知覚の領域は常に二元分離であり、成ろう至ろうとし行為しようとする。それは二元分離ではない非思考、非対象の意識ではないからである
  • この真の私と自我である現在のパーソナリティーが結合することが起こったとき、自我が結びついていた頭脳は変革を起こし条件付けが解かれるがそれは神々や外部の諸力の契機に拠って惹起するのではなくて、自身の内奥から起こるのである
  • なぜならこの自我を使って生きているのは自我ではなくて根源であるからである
 
  • 非心、非二元、非分離、非私、非対象、非記憶である意識である私は、全体であり、普遍であり、愛であり、喜びであり、自我と記憶と心が終焉したときに、始めからそこに在った「いまここあるがまま」として姿を顕している
 
エネルギーの種類
  • 体力(内臓のバイタリティー・筋力)などを自分のエネルギーとして感じる状態
  • 精力(低次チャクラの力)を感じている状態
  • エーテル(気の力・エーテルエネルギー)などの気を感じる、大抵の病気はこの不足で起きている(丹田パワー力)
  • エーテルエネルギー、アストラル・サイキックエネルギー、メンタルエネルギーを強く感じている状態、分離しているエネルギーを実感している状態
  • この錯覚を支えている無知からのエネルギーを真性のエネルギーだと感じている
 
  • 生命そのものの七色のエネルギーを感じる、その根源的生命エネルギーで生きる(但しこれは気やエーテルではない、プラーナであり生命そのものである、)
  • 癒しのエネルギーで生きている、それは白色に見える。チャクラの光が統合されて白色になっている状態であり。有機体を本来の状態に戻し、その影響は内面の統合をもたらす(時間と空間に左右されない)肉体そのものも非常に高プラーナに包まれる
  • 真我からの根源スパーサブスタンス・高次プラーナエネルギーを感じて体力・気力とは別のエネルギーで力を感じる、これで生きている状態
  • これなくしては物質界や霊界・神界、また宇宙空間など一瞬たりとも存在しない基底
感情
  • 人格・自我は感情は分離感で溢れているのに、自分は「自分には愛がある」と錯覚している状態。憎悪、恐怖、不安、暴力、破壊、無関心などの状態なのに自分は愛しており良い人間だと思い、神を信じていないのに神を信仰していると錯覚しているが実は関心は自己にのみある
  • 自分に押し寄せるその時々のマインドの感情にそのまま影響され同一化して翻弄される
  • 恐怖や不安に苛まれているのは、それらの恐怖や不安から逃げようとしているからに他ならないのに、この恐怖は自分の恐怖だと、恐怖から逃げようとしている。恐怖は去来しているだけである
  • 感情や欲望は、また想念は自分ではないのに、心の鏡に映っている感情や欲望や想念や概念を自分の感情であり、自分の想念であり、自分の思考だと錯覚し、今度はそれらの想念に対して記憶から反応しているいるのが人格であり、その人格を自分だと思っているのが魂からの現在のパーソナリティーである
 
  • 自我とは全く無関係の愛の高次感情が訪れ、それを感じるときそれは無選択、無限定、自分がない状態を感じる
  • 自分を全く意識していない意識状態で穏やかな愛に溢れている
  • 常に微笑みが絶えない神聖なる愛に包まれている
  • 低次感情も高次感情も根源の神からきている。根源は善悪を好き嫌いを使って現象界を支えている

知覚の状態
  • 人格・自我とは通常の五感に加えて幽界や霊界の影響を受けてその存在を感じたり見たり聞いたりする状態霊視・霊聴など悪霊や悪魔や敵などが感じられたりして二元性に罠にはまり錯覚している状態(実はそれらは自分を映しているに過ぎない、そしてその自我・自分とは神の演技である)
  • ブラックや悪魔を敵だと感じているが実際は神でないものはない
  • 悪に対して敵対感情を持って対応している、その悪は実は自分が投影している事に気がつかない
  • 自己に気がつかないのと同じように、他者の傷みを自分の痛みとして気がつかない
  • ブラックや低位の神々や、低位の龍神などのことに関心を持ち、その関心の中に思考や非難するマインドが混在していることに気がつかない。その虚偽を虚偽と見ているのは現在のパーソナリティーの識別であり、これらの虚偽の中にも真理を見ているのが魂の意識であり、そのあらゆる者の中に唯一なる至高なる存在を実感し、万物をブラフマンと見ているものが真の私である
 
  • 超感覚を他動的に受け取るのではなくて能動的に自らが切り替えて自分のコントロール下で使用できる状態
  • 痛覚、空腹感、温度感覚などが肉体からの伝達ではなく、肉体を真我が使う状態になるのでいつも同じ気温感覚、肉体からの痛覚、苦痛感、空腹感が無くなる
  • アチューメント
  • 肉体や諸体の感覚や知覚を私の知覚ではないと実感している
  • 実際に他人の痛みや苦しみを自分自身の痛みや苦しみとして実感している
  • 見るものは全宇宙が一つの中で全てが完全完璧で、真我以外のものは見ることはない、全てが愛である歓喜である状態
  • 頭脳経由でのマインドで私たちを縛られなくなり、気づき意識が頭脳を使う状態、気づき意識がマインドを使う状態で、頭脳の劣化に影響をうけたりしない
  • 聖なる知覚/テオーシス
  • 「見るものは見られるものである」の実感、その直覚
  • 主体と客体の非分離
  • 汝はそれの知覚状態

五感
  • 感覚対象がなくなり、非対象という直覚が生じてくることが真実への認識への実際の接近の証明である。神のみが行為者であり、すべては神の演技であることとは、この感覚が五感や六感、七感を超えて九感に至らなければ、真実の理解、真実の状態にはならないそのときアドヴァイダの言っていることが理解できるその状態である
  • 五感の本質を捉えることが出来ず、分離している五感を感じているので、自分の痛みとして感じてしまうが、その肉体の痛みや心の苦しみは自分の苦しみではない事に気がつかない。痛みや苦しみは肉体や諸身体が痛み苦しんでいるのであって魂や現在のパーソナリティーが苦しんでいるのではない事に気がつかないで自分が痛み苦しむと思っている
 
  • 真我の影響下にあり、肉体からでなく全く違う愛と一体の世界を見ており、高次マインドを使用し現象界の影響を受けない
  • 五感ではなく第七感であるとき世界は非実在であることが見られる
  • 神が行為者という自我を魂を通じて投影している事の実感がある
  • 大明知は明知と無知を超えており、叡智と無明を超えている。タオから一なるものが生まれ、一なるものから二が生まれ二から三が生まれ、三から行為が生じた。世界の創造である
  • 神我は行為に関わっていない。

見る能力
意識の座
  • マインドの特徴の一つとして、焦点を充てて対象を分離したものとして認識するやり方である。この対象には主体(自分)も対象にしている真の主体には対象が無い
  • 見る事、認識の段階とは現在のパーソナリティーと魂を繋いでいるシルバーコードの詰まり具合に因る
  • 内部と外部に分けており、他人と自分は別だと信じているのは「私という観念」である
  • 肉眼・幽眼・霊眼・心眼・神眼などで異次元界を見るのも分離している眼であり、その眼は階梯や段階を見ている
  • 次元や意識の階梯を見ているのはマインドであり、真我の眼に於いては総てが私であり、総てがブラフマンであり、意識の階梯や自我と真我という差異や分離がないことを見ている
 
  • 見る主体も、見られる客体も消滅し、主体もその対象も共に存在しない状態、絶対主体、光そのものの一歩手前の意識段階
  • マインドが作り出しているこの二元性の意識が消える状態に移行する段階
  • 見る事は熟睡に影響されない・・この段階の見ているのは真我の目である
  • この真我の目は全ての魂を暖かく愛に溢れて見ている

超能力
  • テレパシー、物質移動、サイコキネシス、念写、チャネリング、テレポテーションが能力として与えられて行っている状態だが通常金銭が絡むとその能力は徐々に失われる。
  • 超能力がある状態。八大神通力は邪悪であるといえる
  • 玉響・たまゆらは精霊のエーテル次元の姿であり、精霊である。精霊達は魂を持っていない神の創造物であり、大天使に従っている
 
  • 自分が行っていると言う感覚無しにテレパシー、物質移動、サイコキネシス、念写、チャネリング、テレポテーションを神の自由意志で行っている状態
  • 魂から見た場合の八大神通力とは真我への障害であり自我を強める作用を持っている
  • そのような超能力は、それを見せている相手の存在を前提にしているがそのそれに驚嘆する相手がいない状態、従ってその能力は相手のものと言う感覚

マインド
  • マインドの本体は忘れたこと忘却である、自分を忘れたことである、忘れさせられた。根本無明。これはしかし個人レベルではなく、意識帯として地球を帯のように取り巻いていると言われている
  • マインドとは心ではなく、思考であり、心とはハートであるので、この点の言葉を明確にしなければならない。ハートである心の一機能が思考である
  • 思考とは脳にやってきている想念が記憶されたものである
  • 正確にはマインドとは思考・想念であり心ではない、心とはハートから来ており、似ているが由来が異なっている
  • 想念であってもエレメンタルの想念もあり、肉体の想念もあり、動物魂の想念もあり、人格からの想念の記憶の反応としての想念もあり、カルマからの想念もあり、現在のパーソナリティーからの想念もあり、魂からのハートの想念もある。魂の内奥からは想念ではないので直覚として絶対なる沈黙の中に顕れてくる。従ってテレパシーは如何様に高度であっても。それは想念のレベルで機能しており、魂の領域ではない。魂の内奥の領域ではテレパシーはもはや使われず、全体が一体の中で直覚が瞬時に理解を与える
 
  • 私にやってくる外部からのマインド、DNA・設計図からの感情・思考・意識。それらの条件付けからの作用を受けている記憶・夢・時間・空間それらは一切私ではないと明確に理解し、影響を受けていない
  • マインドからの解放状態の最初段階
  • 思考を観照している意識であり、統覚機能としての主体であり、思考の認識主体であるが意識の認識主体ではない

  • 物質界や幽界霊界神界のマインドではなく別種の高次のマインドの使用による非二元的知識、言葉を超えた状態
  • 魂の内奥の意識、非分離、非対象、非思考の全体の認識主体であり、純粋主体とも言う

意識の状態
  • 個別的意識で個人の現在意識、潜在意識、集合意識、マインドの全体意識が働いている
  • 条件付けの頭脳を経由し設計図(魂・DNA)によって条件付けられているマインドで自分は肉体と錯覚し個別感覚で、個別存在だと錯覚している意識状態
  • 肉体・エーテル複体・アストラル体・メンタル体・そして記憶体でもあるコーザル体である玉響(輪廻している本体・魂)と同一化している意識状態
  • 意識の座は頭脳に閉じこめられている
  • この段階の意識とは正確には意識ではなくて意識と繋がりが殆どない状態であり思考である、ハートマインドは少なくブレインマインドであり想念と想念の記憶の反応と地球霊の一部である動物魂の思考と感情、欲望であるのを自分の意識と取り違えている。なぜなら脳と現在のパーソナリティーは深く結ばれているからである
  • 夢見時にも夢を見ていることに気がついているのが意識であり、熟睡時にも熟睡をしているマインドを見ているのが気づきであり、その気づきが意識である。この気づきは日中の覚醒時に於いても途切れることはなくて、思考や自我の思考や感情の動きを観照し気がついている。クリシュナムルティーのあるがままをあるがままに見よとは、この思考ではない気づきを指している
  • 但しこの気づきという魂の意識は肉体の頭脳に左右されていないので、肉体の頭脳は熟睡し、肉体は眠っていても、この気づきは働いているので、外部からその気づきのある人を見ていても
  • その人の頭脳は熟睡し肉体は眠っているように見える
 
  • 全体的意識、地球の全体的意識でワンネスを感じる事がある
  • 他の太陽系からの意識存在の交流が始まる
  • 相手のマインドを感じ読める状態を超えて真の私を感じている
  • 心とは次元の異なる気づきが発生している
  • DNA・我性の純化・死滅・消滅の経験、自己・魂の再誕の経験
  • 完全な静寂・空の世界
  • アストラル界の変化してしまうアカシックレコードではなくて、メンタル界上部にある真性アカシックレコード、魂の内奥に意識が繋がった場合この真性アカシックレコードと繋がる
  • 世界は自分であるので、その地球意識から全員の意識状態を認識している
  • 自分はアートマンであり神であるという全体意識、しかし同時に永遠の神聖なるパーソナリティーもある一即多、多即一のレベル
  • 条件付けからの解放、自由の感覚
  • キリストの言う真実の愛に溢れており、すべての中にキリストを見ている段階
  • ここからは一切通常の意識、マインド概念、言語、言葉、では入れないレベル

  • 他の宇宙、次元系との交流但しこれはマインドのレベルではないことに特に留意
  • ブラフマンであり完全に宇宙の意識で神を超えている
意識の特徴
  • 対象があると思っていてその対象に焦点を合わせる作業を行っている
  • 集中するという二元的作業、集中が個別に移動していく作業
  • この現在のパーソナリティーが感知している意識とは肉体自身の意識及び諸体の意識であり、各諸体の記憶である。そして又微弱な、魂からの心(澄み渡って清らかなる心)、また地球霊からの動物魂の思考と欲望、そして脳が受け取るDNAからの衝動、そして最後に真我からの僅かな高次の意識である。殆どは正確には意識ではなく思考と衝動と記憶の反応、とそしてハートマインドからの心である。又はインプラントされた思考であったり記憶であったり、同じようにチャネル、又は憑依している思考であったりしている
  • 脳内麻薬・霊的薬物、LSD、インプラント、チャネルなどによって引き起こされている恍惚状態、変成意識、意識の拡張などは魂を閉ざしてしまい、静寂で明澄なる真の私の意識から遠ざかっていく
  • 生まれたときに呼気で肉体に入り、肉体を去るときに吸気で去る生命が私であって、思考や感情や行為者は私ではない。私が入ることによって脳は動き出し、肉体も諸体も動き出す事が可能になる。私は生命であり生き続けており、自我や脳に去来している思考や感情を、そして記憶とその記憶の反応である自我を非難なく判断なく観照している「目」でもある。私は見ている。判断なく非難なくあるがままをあるがままに途切れることなく観照している。私は生命であり、生命が私であって、生命の私は自我や行為やこころとその記憶を観照している。私は心ではない意識であるところの生命の「目」である。「私と言う観念」は私ではない。私によって観照されているから純粋主体ではない。
 
  • 速読に似ているが、集中ではなく注意している状態で受動的鋭敏さでの気づきの始まり
  • 真我の目覚の予兆が始まる
  • 見るものは見られるものである意識で対象と自分は消えて、且つ焦点されるものは自分であるとのワンネス状態
  • 変性意識と反対の、現在意識が深化して澄み渡った状態
  • 霊的諸体にある頭頂部のブラフマンドラを突き破ってすべてのチャクラが開花して基底部から上昇したとき、魂が開花したといえるが、これは現在のパーソナリティーや自我の欲望では不可能である
  • 左記の私とは「私と言う観念」ではない。意識の座である観照者であって、思考が生み出した思考者や、知覚が生み出した知覚者ではなく、自我ではない。「見るものは見られるものである」を見ている意識そのものである

  • 非二元性の状態、非分離の状態で「見るものは見られるものである」の状態
  • 真我アートマンの意識
  • 見る対象との完全なる合一状態対象そのものが自分との意識
  • 完全に私は世界である。私の中に世界はあるとの実感

頭脳
認識速度
  • 分離状態で焦点を合わせるので非常に遅く、頭脳からの条件付けでマインドを受け取るのでその頭脳の処理速度に依存している
  • 頭脳は濾過器である、視床下部という意識の座で現在のパーソナリティーにその濾過された意識内容を伝える役目をしている。シルバーコードの詰まりが解けた結果その濾過器が変換すると、現在のパーソナリティーの意識が魂と結ばれて、真我の愛と知性が意識の座で現在のパーソナリティーに到達するシステムになっている
  • 今のところ意識の座の現在のパーソナリティーは霊線・シルバーコードで魂と結ばれているけれども、頭脳に繋ぎ止められており、頭脳経由のマインドしか受け取れない状態である
  • 死後バルド界にて作用している個人という錯覚は霊体脳から現在意識ある現在のパーソナリティーと魂に知覚認識の記憶情報が自分が肉体だとという錯覚が続いている
 
  • 現在のパーソナリティーが魂と繋がり魂が真の私に戻ったとき頭脳の変革は完了され、条件付けを解かれて新しい機能を獲得しているので人類の未開の能力を得ている
  • 頭脳がマインドからではない気づきも濾過し処理できる頭脳になっている状態但しこの状態の脳に変性されるためには肉体を含む諸体の浄化を経る必要があるとされるこの状態に達したとき真我であり高次感情センター、高次知性思考センターは頭脳を使えることに成る

  • 真我自身の一瞬にして同時に全てを理解する能力

金銭感覚
  • お金を取ったり取らなかったりしている状態でいずれにしてもお金に引っかかりを感じている、金銭の授受に焦点が合っている金銭の本質は自我であり、金銭に関心を持つものは精神ではなくて低次思考であり、その束縛が金銭への関心となる
  • 金銭に捕らわれている状態、自分が存在すると思っているので自分の富と金銭を全て「自分である相手」に与えられない状態金銭や安全安定に自己に執着している。精神であるならすべての富をまず最初に人々に分け与えることから始まる
  • 金銭の概念、金融の概念はマインドである個人という錯覚が作り出したシステムであるそこを気にかけていること自体が我性の働きである
  • お金を取っても取らなくても金銭に焦点が合っているのが低次マインドの特徴である、それは自己が分離している実感があり、身体の感覚が残っており、従って安全と安楽を求めることが金銭への関心となるのである
 
  • 全くの無一文、無所得、無所有こそ限りない豊かさを実感し、与えるだけの状態になる、このとき金銭とはこの物質界にのみ属する概念であることが真の意味で看破され、その執着一切から離れる
  • その金銭の概念から離れたとき「貧しさ」が神の王国の条件であることが看破される(富めるものは神の國にはいるのは難しい)そのとき求めなくともお金が集まってきてしまう
  • 金銭の感覚に対しては厳しく鋭い(金銭は存在しないから)

神をどう捉えているか
  • 神を自分以外の存在として、対象として認識している状態
  • 神をどのように捉えているかによって、その現在のパーソナリティーのいる立ち位置がハッキリと分かる。これは他人をどのように見ているかによってもその人の現在のパーソナリティーの意識レベルが分かるのと同じである
  • 自分がチャネラーとして神の言葉を伝え、存在を感じている状態、分離状態下での神?天使との遭遇などは地球の精霊や、そのご眷属の諸精霊、又はほかの次元の違う惑星からのインプラントなどがオーバーシャドウか憑依している状態である
  • 人類とは別系統の進化をしている神々、精霊、竜神系はそれぞれに官庁組織のように国に分かれテリトリーが異なっているが彼らは神からの創造されたものであり、人間は神そのものの真我と繋がっている、いわば神そのものである点で少々異なっている
 
  • 神を我が内にある真我そのものであると体験し、真実の高度な信仰と神への愛を抱く段階
  • チャネルではなく、分離状態以外の同一一体意識下での同調している神意識の影響を受け始めている
  • 人格神も羨む気づきの意識レベル全体意識を感じ始めている
  • チャネリングやオーバーシャドウ、神との一体化などは霊体の漏れから生じている現象であり魂が開花している上たではそのような現象は生じない
  • 人格神は消えるべき最後の現象界の存在であることのレベル状態
  • ここから宇宙の高度に進化した宇宙全体意識としての本当の神の探求が始まる
  • 現象界を統括している源泉であるブラフマンの意思は認識できない、ブラフマンがこの現象界の起きることを起こらしている

他人をどのように見ているのか   
  • 他人をどのように見ているのかで、非常にハッキリとその現在のパーソナリティーの状態レベルが鮮明にわかる。他人を肉体と捉えているのは、自分の事を肉体だと捉えている意識レベルであり、その段階では、現在のパーソナリティーは魂との繋がりは殆どない
  • 神をどのように捉えているかによって、その現在のパーソナリティーのいる立ち位置がハッキリと分かる。これは他人をどのように見ているかによってもその人の現在のパーソナリティーの階梯が分かる
  • 他人とは自分と同じく全く同一の真の私が投影している自我であり、この根源から投影されている自我・現在のパーソナリティーのことを自己と云い他己と言っているに過ぎない
  • 実際には他人も自分と同じように神の道具であり、神が表現しているそれぞれの自我なのに、自分と他人に分けてみているのは魂の眼が開いていない証拠である
  • 魂の内奥の眼が開いている場合は、自己も真の私であり、全く同一に他人も自分の真の私であり、その真の私が他人の自我も自分の自我も同じように感じるのである。自他の障壁は全く存在していない。
 
  • 他人の苦しみを実際に自分の苦しみとして感じている現在のパーソナリティーは魂と繋がり始めており自己関心からもある程度解放されている
  • 魂の意識と繋がっている場合は他者を、自己と全く同じ同一の存在と感じ始めており、他者の中に私を見ている
 
 
先祖供養
  • 何故先祖供養を行うのか、その動機を自身に明らかにすること果たしてこの自分が霊を供養出来るのかまた供養される霊とは誰か
  • 肉体での繋がりの先祖とは誰か、その本来存在しない現象界の虚構の個人存在ではなく、本当の供養を行うことが肝要それは自分自身の内奥にある魂を供養することである
  • 墓や死者ではなく、現在のパーソナリティー・魂が浄化されることが最大の供養である、供養は真我に向かうことであり、緊急性とは一体何かを問うことである
  • 自分の実存レベルでの黄金の霊体を作れるレベルの時、自由に霊界に行き指導を行えるであろうが供養は自分の肉親だけに限定はしない
  • バルドでの彼らに真我に向かうよう供養をする透明のヘルパーはまだ中途段階である。真我実現こそ最大の供養である
  • 自他の分離がないとき、死ぬものは誰もなく、生まれるものは誰もない不生不滅一命一体である

対応する次元・宇宙世界
  • 現象界・輪廻転生する幻の世界、この物質界・幽界・霊界・神界の一部(意識界)
  • 幽界や霊界を探訪したり霊界でヘルパーとして活動していると思っているが殆どはそれは、アストラル界の低次段階である死後に訪れているバルド界に過ぎない
  • 現象界を超える次元に触れている
  • 輪廻転生からの離脱とはバルド界という想念界を看破することである
  • 神界の一部天界
  • 黄金の霊体の完成により他の惑星集合意識の方々との交流が始まる(他の惑星の方々は一即多の意識である)
  • 実相世界といわれている次元はアストラル界の事であり、真のリアリティーの世界ではない
  • 他の太陽系、銀河系、他の宇宙の統括している全体意識との交流(このレベルでは個人は存在しない)

何に興味を持っているのか、何に価値を置くか
  • 一番現象界の低レベルである物質界にのみ通用している金銭や健康、安全、安定、有名になること、頂点に立つこと、地位、名声、成功、成就、自己の拡大、神になること、権力、性欲の執着に捕らわれている状態、そういうことに興味を抱き執着する何かに成るために自己否定や自己犠牲を利用して、常に動機と目的を持っている至るための方法を探し提示するのが我性である。
  • 同じ利己的な欲望が霊的領域に向かいチャクラの開花、クンダリーニの上昇、第3の目の開眼等、神との霊交から悟りを目指そうとするも無明の働き、自我の抱いている興味であり、またそれらを自分が達成することに動機が置かれていて自分が変わることに力点が置かれている、変わらない既に在る真の私に気づいていない
  • 超能力、超常現象を引き起こす力を得ようとしている分離状態
  • 悟ろうとする欲望、真我に至ろうとすること、既に真我であることを否定する欲望が至ろう悟ろうとする自我である
  • 何かの欲望にとらわれている状態私という観念に振り回されている状態
  • 個人の存在を前提にしているので起きているところの悟り、成就、開眼、幸せ、歓喜などを求めている状態既に在るのにそれを獲得し求めようとしている
  • 悟りとは悟ろうとする自己が存在せず、自分が悟るのではなく悟ろうとする自分はいないのだと気がつく
  • 高度の芸術は魂の領域から発していることであり、決して幽界や霊界の事柄ではない


チャクラ
クンダリーニ
  • チャクラやクンダリーニは真我の完全のコントロール下にあり、エゴの力でそれを開花させても又閉じてしまう
  • チャクラに焦点と関心を持ち、個人があり自分が存在するという錯覚に陥った結果チャクラを開花させようとする
  • チャクラは自動的に必ず開花される。それに焦点と関心を持つことがマインドである自我の特徴である
 
  • チャクラは魂から放射されているのではなくて真我から魂に放射されているものであり魂が本来の私に覚醒しない限りは完全には機能することができない
  • 真我覚醒した聖人は頭頂部から数百の数千のチャクラが伸びていると言われる(これを物質界的な時空間的に捉えてはいけないが)


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意識の階梯
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