五つの異なるレベルの私


私達が私と自覚し、自身を思うとき、その私というその自己意識は「どの私」の意識なのか?
何故その様に言うのかと言えば、それは私という自己意識には五つの私が同時に存在している
からどの私が意識化されているのかによって、「それぞれの私」とは全く異なる存在状態(実存状
態)である、といえる。(通常私達は私・自己と言う意識を階層性あるそれぞれに異なる実存とは
捉えていないで漠然と自己を意識し他者のことも過去のイメージで見ているに過ぎない)
現在意識されているこの自己の意識とは、どの存在状態の私であるのか又はどの私の意識なのか?
この私という自己意識とは、どの私の意識なのか?

単なるエレメンタルの反応、起こってやってきているもの、自己に憑依している想念形態なのか?
それとも、肉体の脳の反応なのか?記憶の条件づけられた反応の私なのか?
または、魂と共に肉体に入って脳や神経と結合した、死後も継続している自我であるのか?
(他者を自己とは分離しているとして見ているものが自我といえよう)
脳に起こっているその記憶の条件反応を自分自身だと錯覚して、その記憶の条件反応である思考や
感情や行為と自己同一化してしまっている現在のパーソナリティー・サイコノエティック体(自我体)
であるのか?
この現在意識の私、私という実存の状態、段階が問題であり、自我の状態が問題なのではないか?
即ち、このサイコノエティック体・現在のパーソナリティーの状態が大切なのではないか?

この現在のパーソナリティー(自我体)即ちこの意識し、されている私とは未形成のサイコノエティック体
だと言われている。現在の私は再形成されたサイコノエティック体である高次ノエティック体の私として、
即ち霊魂という全体性と繋がっている私なのか?
実際には地球人類の殆どは未だアストラル体メンタル体も機能していない未形成の未発達の自我
なのではないか?
霊的に高度に進化している他の星々の方の現在のパーソナリティーは、内奥の私、霊魂の私と繋
がり再統合された諸身体をもつ私なのであろう、そしてその私とは全体であり、この「全体性・場」の中には
あなたもいて私もいて、私は世界であり一つであり私は他と分離していないことだろう。
さらには賢者や覚醒した方々は、「心臓の結節」が溶かれている「自由そのものであり愛である」あ
のお方と一つになっている私なのであろう。

この全く異なる状態の私(私という意識のこと)を混同して、本を読んで賢者の高次の意識状態を
この現在の段階の私と錯覚してしまい、私は思考や行為をしていないと思い込み、私は真我で自
由で有ると思い込んだところで、その現在のパーソナリティーの状態が、肉体の脳や記憶と一体化し
エレメンタルの私を自分だと思い込んでいる未形成の状態、実存段階では、即ち実際の自分自身の
知覚レベルとは、未だアストラル体もメンタル体も機能しておらず、欲望や動機に満ち、出来事に
一喜一憂し、翻弄され、アストラル視力やメンタル聴覚という超知覚すらないレベルの状態
閉ざされた五感の状態、即ち一体感や万物とのアチューメント、霊的治療すらも出来ていない状態
なのである。

それは、現在のパーソナリティーが未だ低次の段階でありサイコノエティック体(アストラル体・メンタ
ル体)が再形成されていないことを示している。
この低次の段階の現在のパーソナリティー即ち再形成されていない私が、「私は行為していない」
と言明しても、それは単なる観念作用に過ぎず、自分自身を欺いているに過ぎないことを示している。
これらの自己欺瞞は自分の五つの存在を混同してしまっている事から起因している様に思える。

区別がつきずらい思考や感情や私という自己意識を①脳で受信している思考や感情、又エレ
メンタルからの想念、考え、衝動、②それを受けとった脳の記憶からの条件反応としての思考や
感情③脳に結合したが故にそれら脳に起こっている思考や感情や衝動や行為を自己自身と
同一化している自我体(サイコノエティック体)である心、④それらを観照している霊魂の意識
(全体性の意識)と言う具合に存在論的、構造論的に区別した方が良いのではないか。
以下それを分かりやすく述べたい。


①想念形態・エレメンタルの私、ワサナ、過去の人格(衝動の私)
②脳の機能から生じる反応の私、脳の記憶の反応としての私(肉体・脳・思考・感情の私)
③現在の私・サイコノエティック体の私(幾段階からなる心の私)
④霊魂の私(自他の分離なき全体性の状態)
⑤真我若しくは神の私



この五つの意識の段階の私があるのに、それぞれに異なる存在状態の私を私だと決めつけ
思い込んでしまうことで混乱が生じている。これらの異なる意識の違いをさらに詳しく述べたい。


①想念形態の私・エレメンタルの私

脳の機能で受信されるエレメンタル、又、私達のサイコノエティック体によって生み出された想念形態は
人格でもあり、ある特性を持ったエレメンタルとして、サイコノエティック体に憑依することによって
自分がその様な感情や思考を持っていると錯覚させてしまうが、これは取り憑いたワサナ若しくは
過去の想念が凝縮したものであり、、その本人(サイコノエティック体)自身ではない。


②思考=脳の機能から生じる思考感情である私、脳の記憶の反応としての私

この私とは、自分・自我・自我体が霊魂と共に肉体に入り、その入った肉体の脳の状態の意識
内容のことである。肉体の脳が受信している思考や感情や想念は自分自身と捉えられてしまう。
肉体に入った自我はこの脳の状態を、条件付けられている脳が起こしている記憶の反応を
私自身、私だと思い込んでいる。しかしこの条件付けられている脳の記憶である私と思い込んでいる
この私は、本能や衝動や欲望や行為であり現在のパーソナリティーに拠って私自身だと知覚さ
れてしまっている起こっている記憶や欲望や思考や想念であって真の私ではない。
この意識は脳の記憶であり、その反応であり、脳の状態や身体に状態によって大きく異なっており
その本人の才能又は不具または障害や欠落状態のことであるが、それは本人自体の状態ではなくて
脳・肉体の状態であり、才能や特性などの天才や凡才の状態を生み出しているのはこの脳の状態
若しくは肉体の状態に拠るのであり、その肉体や脳に結合したサイコノエティック体という自我自
身・本人の状態ではない。


③心=サイコノエティック体の私

この私とは真我や霊魂と共に肉体に入り、肉体の死と共に肉体から離れる自我体のことである。
このサイコノエティック体というアストラル体、メンタル体、即ち思考感情体、若しくは自我体の状態、
この私の段階、レベルが非常に重要であり、このサイコノエティック体という現在のパーソナリティー
の状態が死後も継続して輪廻している。生まれ、そして霊界に移行し、幾多の輪廻を通じて成長し、
最終的に神の身元に還る私のことである。キリスト教的に言えば磔にかかるべき私の事であろうか?
このサイコノエティック体という自我・自己は通常では生起している脳の反応や、衝動や又さらに低
次のエレメンタルと自己同一化しているが、この現在のパーソナリティー自体は起こっている行為や
思考ではなく、将来は内奥の真我と繋がっていることを再確認できる可能性、可塑性のある私=心
であり、思考と同一化しないこと(思考なく見ること)も可能である。
以下サイコノエティック体とは自我体・現在の私のことを指す。この現在の私は④の魂によって
生じた自我であり幾多の生まれ変わりを経て成長し魂の内奥に帰還する。賢者によってはこの私の事を
「記憶」と称されることもあり、この私さえも魂から見たら記憶の反応に過ぎないのかも知れない。

    A:未発達なサイコノエティック体(未発達な現在のパーソナリティー)
           胸の位置にジャガイモのように固まっているように見えるという。
           この未発達な状態がおそらく殆どの現在の人類の自我の状態であり、②や①の
           私である私の事を私だと錯覚している。この自動的に行為し、行動し、思考している
           肉体の脳の反応の私を自分だと錯覚しているのは、自我が未発達であり
           自我が非常に強い状態であるからといえようか。
    B:形成途中のサイコノエティック体
           多くの輪廻を継続することによって、徐々に高次感情ハートセンターと高次思考
           頭のセンターと丹田の行動センターに分かれて機能するようになるという
           (これはチャクラが活性化するということだろう)
           これが正常なアストラル体メンタル体と言われている身体であり、この段階に
           至ったとき、それぞれのセンター(チャクラ)はクンダリーニと共に魂に繋がり、④の
           霊魂の私と意識が繋がる可能性が有る。このとき超感覚が目覚めている。
    C:再形成されたサイコノエティック体・現在のパーソナリティが高次ノエティック体に変身している。
           自分自身を磔にかける、肉体の死ではない自我・自己の死を経て再形成された高次の身体
           となったサイコノエティック体は高次ノエティック体として機能して人類に奉仕することが
           可能となる。この高次ノエティック体は超知覚であり超時空間であり
           時空の制約から殆ど放たれている。この状態に現在のパーソナリティーが再形成
           されたときには人類への奉仕、「思考なしに見る」という観照と繋がっている状態
           となる。遠隔治療などの時空を超えたヒーリングが出来る状態である。  
    D:霊魂や真我に結合した(自己実現した)状態の高次ノエティック体として、真我の一部として
           愛と奉仕に生きることが可能である私、未発達な惑星の住民を援助することも可
           能である。

④魂=霊魂の私

この霊魂は脳の中枢部(松果体)に位置しており、現在のパーソナリティーである私が高次ノエティッ
ク体となり再形成され、この霊魂と繋がっていることを再認識できる状態に(シャンカラの言う心臓の
結節が溶かれている)成ったときに初めて意識化される超意識、全体性である。完全に自他の分離
が無く、時間空間の枠を超えた自由な存在であり、愛であるという。
神の導管となって人々の苦しみを和らげる霊的治療も可能であるという。
このとき現在のパーソナリティーは霊魂と一体となり全体性そのものとなっている。
この次元・場・全体性の中では全ての人、ものが分離しておらず一つとして在り、何一つ失われるも
のもなく「全体として在る」という。
そしてこれは全ての次元を含んでおり全ての存在を含んでおり、「全ての中に全てがある」「全体で
ないものはなにもない」、「時間と空間を超越していて自他の区別はない」という「次元を超越した場」
であり空間を超越している全体であるという。これが魂の内奥であるという。


⑤霊=真我、真の私、父なる神

ハートの霊的中枢
この超意識があるからこそ①~④迄の私は成立しており、シャンカラや賢者達はこの真我と繋がっ
た現在のパーソナリティーのことであるが、死と再生を経ない限り現在の私には全く接近不能である。
再形成された高次ノエティック体(自己実現した現在のパーソナリティー)として、神の一部として機能
している「神の子」が顕現している。

以上①~⑤の自分は、それぞれのレベルがあっても、決して全体と分離しておらず、③が⑤の意識
と繋がったときには、自分の中に世界が有り、あなたと私は一つであり、すべての
あらゆる人が、その人の過去と未来と共に一つの意識として、その次元と時空を超えた「全体性」の中に
存在していることだろう。
以上が私が思索した結論である。





























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